おかげさまで南国ピアノ芸術修理工房初のインストアライブ「フランス作曲家によるピアノミュージック」は無事終了しました。
狭い工房に30名もの音楽ファンの皆様が集まってくださってとても素晴らしいコンサートとなりましたが、反面、初めての試みであり反省点も多少残ります。すでに次の企画も動き出しているので、もっと楽しんでいただけるようなイベントにできたらと思っています。
セットリストを昨日私が曲解説に使用した虎の巻とともにご紹介します。
- 「屋根の上の牛」より『フラッテリーニのタンゴ』(ダリウス・ミヨー)
Le Boeuf sur le Toit(Darius Milhaud)
外交官秘書となり、ブラジル大使に随行し、いっときブラジルで生活したため、ブラジルの大衆音楽や舞曲に強く影響を受けているためとってもにぎやかな曲です。本来はチャーリー・チャップリンの無声映画のために作曲され、『ヴァイオリンとピアノのためのシネマ[幻想曲』。
作曲年:1922(江崎グリコ設立 未成年者飲酒禁止法公布 日本共産党結成) - ブラジルへの郷愁(1. ソロカーバー、コルコバード)(ダリウス・ミヨー)
Saudades do Brasil Op.67 1. Sorocaba, 7. CorcovadoDarius Milhaud)
地名、ワーグナーはNG
作曲年:1920(鈴木式織機 日立製作所設立 第1回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)開催) - 五つの遺作より「2.アルバムの一葉」(エマニュエル・シャブリエ)
Cinq Pieces pour Piano “2. Feuillet d’album”Emmanuel Chabrier)
父親の強い勧めによってパリで法律を学び、内務省に就職した。ワーグナーの影響で音楽の道を選ぶ。
作曲年:1891(帝国議会議事堂が漏電により全焼) - グノシェンヌ(エリック・サティ)
GnossiennesErik Satie)
1889年にパリで行われた万国博覧会でサティは東洋の文化、特にジャワの舞踏に大きな感銘を受けた。それにインスピレーションを得、翌年『3つのグノシェンヌ』が作曲される。一説ではグノーシス古い都市の名前とも言われる。
作曲年:1889(東京美術学校が上野公園に移転) - 3つの無言歌より 第3番(ガブリエル・フォーレ)
Romance Sans Paroles 第3番Gabriel Faure)
無言歌か、言葉を伴わないロマンスか。メンデルスゾーンの影響がみられる。3曲あり3人の女性にささげられている。
作曲年:1863(天誅組の変 新選組結成 南北戦争 ) - ブルースの形式による3つの前奏曲(アレクサンデル・タンスマン)
Trois Preludes en forme de bluesAlexandre Tansman)
ポーランドに生まれ、主にフランスで活動した。第二次世界大戦中はアメリカ合衆国に渡り、映画音楽を手がけていた。その間、1941年にクーリッジ記念章を受章。戦後、パリに戻ってきた。ナチスの話。
作曲年:1937(松竹発足 ヘレン・ケラー来日 トヨタ自動車工業設立) - ベルガマスク組曲より「プレリュード」(クロード・ドビュッシー)
Suite bergamasque “Prelude”Claude Achille Debussy)
15年かけて作曲。つまり完成は1905年。諸説あるが、一つは北部イタリアのベルガモ地方を訪問した際、その地方独特の舞曲「ベルガマスカ」に強い影響をうけ、この名前もそこに由来している。
作曲年:1890(東京音楽学校開校 フィンセント・ファン・ゴッホが猟銃自殺
休憩) - 亡き王女のためのパヴァーヌ(モーリス・ラヴェル)
Pavane pour une infante defunteMaurice Ravel)
ラヴェル18歳時の作曲。ラヴェル自身の「単に語呂の良さから命名した」という言が伝わっている。またルーブル美術館所蔵のベラスケス画「王女の肖像」から着想を得たともいわれる。
作曲年:1899(東京・大阪間に電話開通 日本電気(通称NEC)が設立) - ノエル第10番(ルイ=クロード・ダカン)
X Noel Grand Jeu et duo. a cura di Maurizio Machella.Louis-Claude Daquin)作曲年:1757(大槻玄沢、蘭学者)
- アンジュー地方のノエル ト短調(セザール・フランク)
Noel AngevinCesar Franck)
オルガニスト
作曲年:不明() - ミンストレル(クロード・ドビュッシー)
MinstrelsClaude Achille Debussy)
前奏曲とはジャンル。ケークウォークのリズムが用いられている。少子化により人口が減ったので労働力として移民を受け入れた。
作曲年:1910(不二家開業 フランスのパリでセーヌ川が氾濫、大洪水が起こる) - 「仮面舞踏会」の終曲によるカプリッチョ(フランシス・プーランク)
Capriccio d’apres le final du ‘Le bal masque’Francis Poulenc)
元は連弾。お母さんからピアノを習う。ピアニストとしては認められていたけど作曲家としてはまったくだった。
作曲年:1932(チャップリン来日)