はじめに
沖縄県にはアメリカから多くのピアノが運ばれてきます。それらの多くは米軍基地の兵隊さんやその家族が私物として持ち込むものです。アメリカは日本よりピアノの歴史が長い分、古いピアノも多くあり、ほとんどが現在でも使用されています。細かい部品は古くなっても、再生すればよい音が出るものもたくさんあります。今回このStarrピアノを修理するにあたって、日本製のピアノにはない工夫や設計を見ることができ大変勉強になりました。
作業工程のご紹介
スター・ピアノ社について
スター・ピアノ社(Starr Piano Company)は1872年にトレイザー・ピアノ社(Traser Piano Company)として設立された会社です。その後販売数を拡大し、1893年に販売店であったジェシー・フレンチ社(副社長はヘンリー・ジェネット)と合併しスター・ピアノ社となりました。1897年ごろには株価も倍になり、当時のアメリカのピアノ市場の75%、つまり4分の3をほこる販売数にまで成長しました。
19世紀のアメリカにおいて、ピアノを持つことは中流家庭の仲間入りを果たしたステータスのようなものでした。ラジオや録音技術が生まれる前であり、多くのアメリカ人はピアノを買い、楽譜を買ってポピュラーミュージックを演奏することを楽しみとしました。そして、プレイヤーピアノ(ピアノロール、自動演奏ピアノ)が生まれると、スター社も1906年頃からこれらの商品の販売を始めました。
1915年、スター・ピアノ社は拡大し、楽譜やプレイヤーピアノにとって変わりつつある蓄音器産業へと乗り出しました。ニューヨークにレコーディングスタジオとスター蓄音器工場を設立し、1916年にはレコード制作部門が設立されました。その後ジェネット・レーベルとして、ジェリー・ロール・モートン、キング・オリバー、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、アール・ハインズなどのジャズ創世記を支えたアーティストの録音を手掛けました。ジャズ以外にもブルースやカントリーなどほかのジャンルの音楽も手掛け好評を博しました。
1930年代に入ると、世界恐慌の影響を受けてその事業は衰退していきます。別の原因にラジオの台頭もあげられます。このとき多くのレーベルが大手レコード会社に吸収・合併されていきましたが、ジェネット・レーベルは効果音の録音などを細々と続けていきました。
スターピアノ社はその後1949年までピアノの製造を続けました。1930年代には冷蔵庫や冷蔵庫の部品の製造も手掛けましたが、1952年に競売にて買い取られました。一度は繁栄したスターピアノでしたが、その歴史に幕を閉じました。現在ではスター・ピアノ社の一部が冷蔵庫の部品製造業者として活躍しています。