長らく考えた来たことが少しずつまとまってきたので、一度ブログと動画にてご紹介させていただきたいと思います。
テレビで脳科学者が「習い事はピアノだけでいい」と発言し話題を集めました。そうでなくてもピアノは習い事の一つとして定着しています。しかしどれだけの人が大人になるまで続けているでしょう?
「ピアノを小さいころ習っていた」という人は多いですが、現在進行形で続いている人はなかなか少ないのです。そして、多くのピアノは家の一角でたたずんでいるだけの状態が続いています。
どうしたらみんなピアノを続けてくれるだろう。何十万円ものお金を払って買ったのに、月謝だって月々数千円でも長く続ければそれなりの額になります。それだけ投資して忘れてしまうのはあまりにももったいない。
そんな中、「音楽を作れるようになればいいのではないか」と考えるようになりました。絵画教室も陶芸教室もプログラミングだって自分の作品を作るのに、なぜピアノは人の作品の演奏に終始するのだろう?自分の曲や、オリジナルのアレンジができれば素敵なのに。
長いことこの課題は夢物語でしたが、調べていくうちに不可能ではないことがわかってきました。しかも音楽をつくる能力は誰もが持って生まれてきているのです。そして音楽を作ることは大昔はどこでも当たり前のように行われていたことなのに、人類はその素敵な文化を忘れつつあるのです。
この「音楽を作ることを教える音楽教育をしよう」というのは簡単なことではありません。モーツァルトのように父親が音楽家で四六時中職業訓練のように音楽を体にしみこませるような環境ならまだしも、ピアノレッスンはせいぜい週1回30分程度です。その中で自在に楽器を操って口笛を吹くように音楽を奏でられるようにできる環境を作るのは並大抵のことではないでしょう。
そして、ご家庭や音楽教室だけの問題ではありません。国策として今なお続いている「一斉に同じことを教える教育」は自尊心を育むことはできず、突出した個性を場合によっては「障害」として矯正しようとします。だから子供たちの無限の想像力を後押しすることは「教育」ではできないのです。
しかしこのままでいいのでしょうか?先日50代の男性が「ラ・カンパネラ」をYouTubeを見て弾けるようになったというニュースが話題になり、SNSでは中国の8歳の男の子がベートーヴェンの月光の三楽章を弾いたり、5歳の女の子がバッハのフーガを演奏する動画が出回っています。人間の肉体は進化しています。高校生で160kmを越える直球を投げるし、日本人もついに100m走で10秒を切りました。難易度の高い曲を演奏も低年齢化していくでしょう。
そんなとき、音楽教室はどんなことができるでしょうか?一度にすべてを語りつくすことはできませんが、出せるアイディアをいろいろ紹介していきたいと思います。
繰り返しますが、「音楽を作る」ことは忘れ去られようとしている文化です。しかしこれからの時代こそ求められていくクリエイティブな「武器」です。私のような一介の調律師より、もっともっとすごいことをやってくれる人がきっと現れるでしょう。その人たちに届くまで、声を上げていきたいと思います。
YouTuberになろうとしてやっているわけではありませんが、動画の方が拡散力があるということなので、作ってみました。伝えたいことの半分も出せていないと思うので、これからも試行錯誤していきたいと思います。また、このような考えに至るきっかけとなった書籍なども紹介していますので、お時間がありましたら合わせてご覧ください。
One Thought on “ピアノ調律師が考える音楽教育のこれまでとこれから”
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