本日はグランドピアノの納品でした。あいにくの雨でしたが、半世紀近くのキャリアをいかしてピアノを濡らすことなく無事設置してくださいました。感謝です。
石垣島でもピアノの移動のお手伝いをすることになって、港の物流倉庫に出入りする機会も出てきて物を運ぶ現場を目の当たりにしました。高く積み上げられた大きなコンテナを運ぶ巨大なフォークリフトを見ると、スーパーで買う小さな生活用品などもこういうプロセスで運ばれてくるんだということを身に染みて感じて、運んでくれる人ってありがたい存在なんだ、と思いました。そして、ネット通販が当たり前になった最近では、宅配業者さんが人不足にも関わらず汗水流して走り回ってくれています。中には「今日配達しますよ」とメールで送ってくれる通販サイトがあるので、受け取ったらすぐ宅配業者さんに電話して「この時間なら確実に受け取れますから!」と無駄足にさせないよう先手を打って知らせてます。
人類の発展は流通の発展あってのもの。乗り物が発達して、電報、電話、インターネットと通信技術が進歩して人類は豊かになっていったのだと思います。運んでくれる人がいることはありがたいことです。今日はそれを強く感じる日となりました。
ピアノの発展にも運ぶことのありがたさが関わっていると想像しています。今は当たり前の鉄骨フレーム。これだけで100kgもしくはそれ以上の重量がある、背骨とも言えるピアノを支える重要な部品。これはアメリカで開発されたもので、この総鉄骨により強力なピアノ線の張力に耐え音量の増幅に成功したことと、調律が長く保持できるようになったという利点がありました。特に後者は、土地が広大なアメリカでは調律師がピアノの調律に出向く手間を減らす、そして利用者のコストを下げるという目的もあったのではないかと推察しています。総鉄骨により大幅に重くなってでもそういうピアノのクオリティを求めたかったのだとすれば、そのピアノを運んでくれた当時の人々の苦労は大変なものだったでしょう。総鉄骨が採用されたのは1840年、蒸気機関車や自動車の歴史と照らし合わせても、移動が容易ではなかったであろうことが推察されます。
そういう歴史的背景を見ても、「運んでくれる人」は大変ありがたい方です。いつもありがとうございます。