今日の記事は少々長くなりますが、どうぞお付き合いくださいませ。

ライブ会場でのピアノの調律のお仕事をいただき行ってまいりました。

ライブとはいいますが、ちょっと変わったスタイルのイベントで、音の台所・茂木淳子さんによる、本の朗読にピアノ演奏を合わせるという素敵な企画。これまでに何回も実施されているそうで、今回は茂木さんの作成した絵本に曲を付けた「ゼツメツキグシュノオト」の抜粋と、那覇市牧志の「市場の古本屋ウララ」さんの著書エッセイが取り上げられました。

「ゼツメツキグシュノオト」は茂木さんが制作した画に感銘を受けた春畑セロリさんが曲をつけたもの。朗読と画の映写にピアノ音楽が付くことで、幻想的な世界観が広がりました。


「市場の古本屋ウララ」さんのエッセイは、ピアニストのサトウユウ子さんによる即興演奏との「セッション」。楽譜の代わりに、エッセイが譜面台に置かれ、朗読を聞きながら、文字を見ながらイメージした音を鍵盤に伝えていく。朗読からイメージする那覇市の市場通りの情景と音楽は、映画のワンシーンのようで独特な世界観を楽しむことができました。エッセイを読み終えた最後に、サトウさんが以前参加した「RYUKYU STANDARD」というアルバムに収録された「赤田首里殿内」でフィナーレを飾りました。


サトウさんは普段那覇市内のホテルで「ジャズナイト」と銘打った演奏をしているのですが、実際にはジャンルに固定されないとても自由な演奏をされます。そして、どんなピアノでも美しい音色で奏でてくださいます。以前本人に聞いたらイメージした音がそのまま手を伝って音になっているそうです。ピアニストとしては理想的な演奏をしていてうらやましい限りです。

自分のアレンジ、作曲で演奏するということは、自分の言葉で発言することだと思います。作曲家の意思を正確に伝えるクラシック音楽とは対照的です。楽譜を読めないと音楽は学べない。でも技術だけに傾倒するだけでは自分の意思を発信できない。2020年度には教育改革が行われ、小学校では正解のない問題に自分の意見を発信することに重点を置く授業が始まり、大学入試ではセンター試験の代わりに「大学入学共通テスト」として、マークシートに加え記述式の問題が出されるようになります。

日本は世界と比べて自分に自信がある子供が少なく「自己肯定感」が低いといわれます。自分の考えを述べる習慣を学校で身に着けて自己肯定感を高めていくことが一連の教育改革の狙いとみられます(ベネッセ教育情報サイトに詳しく紹介されています)。

これをピアノの分野に置き換えると、自分で音楽を作る、いきなり作曲はハードルが高いけど、アレンジやアドリブ、伴奏付けなどで自分の思いを音にすることで「自己肯定感」を高める訓練になるのでは、と考えています。

今年の5月のピアノ発表会で「安里屋ユンタ」を自分でアレンジした演奏を披露しました。これまでクラシックやジャズの曲を演奏したときはさほど緊張しなかったのですが、自分の作品となるとまるで裸をさらすような感覚にかられてとても緊張しました。でも後からお褒めの言葉をいただいたり、リズムに合わせて体を揺らす人がいたと聞くと、とてもうれしかったのをおぼえています。

「音楽をつくろう」というと「基礎ができていないと」とか「たくさんピアノを弾けないと作曲は無理」という声が上がるのですが、ちゃんと子供のころから教えるプログラムもあります。ヤマハ音楽教室の教材が優れていて、ヤマハ出身の方は子供にアレンジやアドリブをさせるということに抵抗が少ないです。

先日ピアノ教室のブログで紹介した「ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム」という著書にも書いてありましたが、音楽を学ぶプロセスと言語を学ぶプロセスは脳科学の観点から共通点があるそうです。言葉の基礎がひらがなやカタカナやアルファベットなどの文字とすれば、音楽ではドレミ、文字を組み合わせてできた単語は音楽ではドミソなどのコードや和音、言葉を並べて作る文章が楽曲、という具合だと考えます。

そうやって思い思いの音楽を奏でていく中で、必ず技術の壁にぶつかるときがきます。そのときクラシック音楽の偉大さを実感できるのではないでしょうか。だから、教える順序が逆なんじゃないかな、と思うのです。

ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、日本の音楽の未来のためにとても大切なことだと思います。これからも少しずつこういった話題を取り上げていきたいと思います。

話はそれてしまいましたが、そんな今日の演奏にとても感動し、たまには那覇市内でゆっくりしていこうと、ジャズライブのお店へお邪魔してきました。ライブのはしごですね。ピノスプレイスという、沖縄では老舗のジャズライブバー。良い演奏に恵まれた一日になりました。